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Photo:zbigphotography

自閉症の世界観について、「ライフハッカー日本版」で興味ある記事がありました。

自閉症の人生:それはあなたが考えているものとは違う


この記事は、海外のブログ「スチュー博士の科学ブログ(Doctor Stu's Science Blog)」で発表された記事を「ライフハッカー日本版」が翻訳した内容となっています。

冒頭のことばを引用します。

コーヒーカップがカチンと鳴る音が、時計台が鳴る音より大きい世界を想像してみてください。道行く人のつぶやきが、ワールドカップの歓声より大きいところを想像してください。あるいは、電気スタンドが太陽より明るかったり、腐った魚の匂いが一日中つきまとったりするのを...。これが感覚過敏の世界です。



冒頭の文に息をのみましたが、それ以下の文は翻訳してあるものの知識のない私にとってはそれでもわかりづらいものでした。

要約しますと、

自閉症で苦しむ人の多くは周りの世界を私達とは全く違うように体験している

のだそうです。下記引用です。

自閉症の人の多くが、世界を全く違ったように経験しています。「感覚過敏」に苦しむ人たちもいます。すべての感覚が極限まで敏感になり、ちょっとした音、目に入る情景、匂いが、苦痛に満ちた大混乱を引き起こします。子どもが自閉症的「かんしゃく」を起こすのは、注意を引くためではありません。突如として苦痛の固まりとなった世界から、なんとか逃れようとする痛ましい試みなのです。



上記は自傷行為を繰り返す私の息子にも当てはまる内容だと思います。ダウン症の子ですが自閉症の症状を理解することが息子を理解することに繋がると実感しています。

この記事で「自閉症スペクトル障害(ASD)」というキーワードがありますが、英国では100人に1人がASDと診断されているそうです。ということは身近な人にも実はこの障がいを持たれている方が居る可能性が高いということです。

下記、ウィキペディアでの「自閉症スペクトル」の説明です。日本では「自閉症スペクトラム」と呼ばれているようです。

自閉症スペクトラム(じへいしょうスペクトラム、英語:Autistic Spectrum Disorder、略称:ASD)とは、自閉症、特定不能の広汎性発達障害などの各疾患を広汎性発達障害の連続体の1要素として捉えたもののことである。自閉症連続体(じへいしょうれんぞくたい)、自閉症スペクトル(じへいしょうスペクトル)などともいう。



ASDのすべての人に共通することは、社会生活の困難さ、人の言葉を文字通りに受け取る、しぐさの意味を理解できない、場の雰囲気が読めない、などだそうです。

でもこれは程度の差こそあれ、私でも難しいとよく経験することです。考えてみれば健常の人は、何気ないことでもかなり高度なことを無意識に行っているのかもしれません。


スチュー博士はこう結びます。

「彼らが見ている世界は違うと認め、尊重する」


自閉症は、一生にわたる症状で、治療法も原因もわかっていないそうです。でも自閉症の人たちが生きやすくなるために、私たちができることはたくさんあると、この記事ではルーシーさんの例(記事の最後の方になります)をもとに説明していますので興味ある方はご覧になって下さい。


以下、スチュー博士のメッセージです。

彼らは、無口で、無作法で、思いやりのない人間に見えるかもしれません。しかし、大抵は、社会のエチケットが身についていないだけです。パニック的な攻撃性、暴言、異常な行動は、恐怖というよりは痛みの表現です。自閉症の人にとって、世界を別の視点で見ることは大変難しいことです。

そして、私たちができる最良のことは、世界を別の視点で見ることです。自閉症の人が生きている世界は、私たちが感じている世界とは違うことを認め、そのことを尊重するのです。



最近、私の息子に対する考え方に小さいながら転機がありました。それはとても当たり前のことですが、
子供の立場で自分の生活を見つめなおすということ。

でもこれって、当たり前のことですよね。書いていて情けなくなってきました・・・。


このことがブログを再開したきっかけにもなったのですが、家族皆がそのことを意識しなければ息子はもっと苦しむことだと思います。

当たり前のことが今まで見えていなかったことは、自分の視点がいままでずれていた、もしくは焦点が合ってなかったということになりますが、表面化したからといってすぐに状態が良くなるわけでもないと思います。

今後は家族皆でもっと息子を理解するように努め、少しずつ良くなるように気長に取り組まなければならないと思います。


スチュー博士の言葉で、
「自閉症の人にとって、世界を別の視点で見ることは大変難しいことです。」とありますが、まずは親が視点を変えることができなければ息子の側には立てないと思います。

考えてみれば人として当たり前のこと、と言われていることは、実はとても難しいのかもしれません。